(2007年9月1日号)  PDF版

主な記事から
 『カラ兄』がエライことに  六星占術の季節到来  追悼 河合隼雄

個人にとっての記憶は、国家にとって歴史である。
 年とともに記憶力が減退してきて、こどもの時に覚えたことはともかく、直前のことを忘れてしまうと
いうことがよく起きる。例えば階段を下りてから、どうしたことかという具合に。
 だが一方で奇妙なことに、自分の記憶でなく国家の記憶(つまり歴史)に対してはパースペクティヴ
の尺度が長くなって、昭和が手の内に入るようになった。わたしの場合は、「降る雪や、昭和は遠くに
なりにけり」はない。年齢を倍すれば、明治にだって手が届く。
 この観点に立つと、先の戦(いくさ)については体験者が少なくなって風化が懸念されるけれど、ここ
でしっかり個人の記憶を歴史に置き換えることができれば、時の経過は有効に作用するだろう。
 読売新聞戦争責任検証委員会の『検証戦争責任T・U』は、戦争を直接知らない記者による、当然
個人の記憶に頼らない、先の戦の政治・軍事指導者らの責任を明らかにする仕事である。その目的
は日本国民が、自らの手で、昭和の戦争の責任をどう認識するかの材料を提供するためである。材
料は多岐にわたり、責任は項目をたてて問われる。具体的な例を挙げると特攻、玉砕を強いた責任
の重い人物を特定しているが、この特定の個人の存在がなければ、このようなことが起きなかったと
言えるわけで、美化しやすい傾向に歯止めをかける意味では大きいと思う。本書では先の戦を「昭和
戦争」と呼んでいる。これは、わが国の過去の国内戦争の多くが年号を冠して呼ばれてきたことによ
る。昭和天皇を連想した呼称ではない。戦争を歴史の文脈でとらえるためには「15年戦争」や「太平
洋戦争」よりは適切だろう。もちろん平成になったから言えることだろうけれど。
 なお、この検証作業は読売新聞・渡邉恒雄主筆の提唱によってなされた。ナベツネの存在なくして
は本書は生まれなかった。ナベツネを矮小化してはいけない。ナベツネに関しては編集後記に。
 (蛙)
検証戦争責任T 検証戦争責任 T 検証戦争責任 U 検証戦争責任 U
読売新聞戦争責任
検証委員会 編著
読売新聞戦争責任
検証委員会 編著
●中央公論新社 
●345P 
●ISBN 4120037517
●税込1,890円
●中央公論新社 
●302P 
●ISBN 412003772X
●税込1,575円

『カラ兄』がエライことになっている
 今さらドストエフスキーでもないだろうという声もあるかとは思いますが、でも、この新訳いいんです。
 昨年9月に創刊された光文社古典新訳文庫の第一弾として刊行され、先ごろ全5巻として完結しま
した。
 この恐ろしいまでに長大な小説が、このわずかの期間で累計30万部に達しようというのですから驚
きです。昔読んだという方のリピートはもちろんですが、新しい読者の獲得がなければ、なし得ない数
字です。
 亀山郁夫訳はとにかくイキがいい。ぐいぐい惹き込まれていく。初読の方はとかく『大審問官』や『ゾ
シマの教え』で挫折しがちですが、難しいところは置いといて、「ミーチャはどうなるかな?」という興味
で、物語を追っていくだけでもいいんです。超一級のエンターテイメントを味わうことができます。理解
できなかったところは、再読(せずにはいられません)の楽しみにとっておけばよいのです。
 今年4月に惜しくも亡くなったカート・ヴォネガットは「この世で大切なことはすべて『カラマーゾフの
兄弟』に書いてある。でも、もうそれだけじゃ足りないんだ」という名言を残しました。たしかに、今の世
界は「それだけ」ではもうどうしようもないくらいに、ひどいことになっています。それでも、この新訳を
きっかけに「カラマーゾフの光」が再び大きなものになることを祈ってやみません。 (沢)
カラマーゾフの兄弟  1 カラマーゾフの兄弟  1
ドストエフスキー 著 亀山 郁夫 訳
●光文社 
●443P 
●ISBN 4334751067 
●税込760円

となりのクレーマー
 もし、買い物をして帰宅後、中身を開けてみると商品が傷ついていたとしよう。その後、あなたはど
のような行動をとるか。しょうがないと諦めるか、あるいは苦情を言い立てるか・・・。自分の場合はち
ょっと奥ゆかしいので言えない。
 さて、今回お薦めの本『となりのクレーマー』。とある百貨店の「お客様相談室」で苦情処理に長年
あたった著者の経験をもとに、壮絶な「クレーマー」とのバトルが描かれている。その内容たるや、十
年間着ていたブラウスに穴が開いたから交換してほしいやら、意図的にクレームをつける愉快犯タイ
プ、そして最初から補償金などのお金を目的の者、等々。通常ではありえない事例であり、私たちが
普通に生活していくうえで遭遇しそうにないと思われる。ところが、これらのことが百貨店等、小売だけ
の問題だと思い込んではいけないのである。著者曰く、近年は一般社会も苦情社会と化しているとい
う。身近なところでは、学校や病院などにおける理不尽な苦情。極めつけは、テレビや雑誌で一躍有
名になった「騒音おばさん」もその例であろう。もはや、私生活にも及びうることなのだ。読み終わった
後、これほどすっきり感のしない本はないが、明日はわが身と思って、一読されたい。 (倉)
となりのクレーマー となりのクレーマー 「苦情を言う人」との交渉術
関根 眞一 著
●中央公論新社 
●198P 
●ISBN 9784121502445 
●税込756円

信じる 信じない
 そろそろ来年の占い本が発売される時期がやってきました。
 星座・干支・九星などいろいろありますが、やはり人気があるのが六星占術です。自分がどれに当
てはまるかを簡単ではありますが、多少計算しなくてはならないので、やり方の問い合わせが増える
のも、この時期の特徴です。
 「占いに左右される人間になりたくない」なんて歌があったように思いますが、やはり気になってしま
います。 (宮)
六星占術による火星人の運命  平成20年版 六星占術による火星人の運命  平成20年版
細木 数子 著
●ベストセラーズ 
●124P 
●ISBN 9784584308530 
●税込560円

河合隼雄のこと
 氏の初期の著作に『ユング心理学入門』がある。培風館という理学関係の地味な出版社から出て
いるせいで一般的ではないが、京都大学での講義がもとになっていることもあり、臨床心理学では
必読書にあげられる。日本のユング心理学は本書より始まった。
 この本を、著者が現在ほど一般の読者に知られていなかった15年くらい前に、当社の魚津店に
置いたところ、2年で15冊売れたことがあって、私の書店人としての最も喜ばしい経験である。四万
六千の人口だから三千人に一人買ったことになる。その後、いくつかの店で同じように置いてみた
けれど、動きはそれほどでもなかった。ユング心理学は、蜃気楼に合うのかもしれない。
 話は突然変わるが、5年前に、ある結婚式に出たところ、仲人が「二人は河合先生の講演会に出
掛け、愛を深めた」と紹介したことがあって、その関係に嫉妬を覚えたことがある。男にではない。二
人が『ユング心理学入門』を読んだか聞かなかったが、悩みが二人を結びつけたのかな。
 もし、あなたが若く気力があるなら『ユング心理学入門』に挑戦して、それから『臨床心理学序説』
にすすむ。『こころの処方箋』は風邪のような悩みに効くが、大きな悩み向きではない。 (蛙)
ユング心理学入門 ユング心理学入門
河合 隼雄 著
●培風館 
●324P 
●ISBN 4563055115
●税込1,365円

 ペルー大使公邸占拠事件や雪印食中毒事件ありと’96〜’03年までの新聞コラムをまとめた一
冊。あぁ、こんなこともあったなぁと懐かしく当時を振り返りながら読みました。時事問題を扱ってい
るのですが、古びているどころか、提起した問題がより深刻になっているのでは・・・と考えさせられ
ました。毎日報道される事件を見て、「あぁ、嘆かわしいことだ。世の中乱れている!」なんて流して
いることを立ち止まって考えるきっかけに、きっとなるでしょう。
 結局、ズバッと効く特効薬なんてないんだなぁ。即効解決策を求めること自体、効率一辺倒な考
え方なのだと著者は戒めている。じっくり読み返したいものです。 (慈)
縦糸横糸 縦糸横糸
河合 隼雄 著
●新潮社
●342P 
●ISBN 4101252270 
●税込540円

謎は謎のまま
 村上春樹の小説に関する謎解き本の刊行点数は今もって減らない。もうつつく隅だって残って
ないだろうに・・・と思うのだが、最近では海外からの参入まである。「ハルキ産業」はどこまで隆
盛をきわめるのかしらん。
 ところで、皆さんはこれらの謎本を読んで本当にハルキ小説の謎は解けましたか? 「羊男は○
○の象徴である」なんてやり出すと、余計に謎が深まる気がするのは筆者だけでしょうか?
 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』は、「謎を謎のまま受け入れよう」という読みを目指す読者
にとって恰好の案内書である。自分の言ったことが定説になるのを嫌って、自著に関して言葉数
の少ない村上氏にしては珍しく、ここではかなり突っ込んだ議論を交わしている(特に『ねじまき
鳥』)。対談相手である河合翁の聞き上手ぶりもさることながら、二人の「物語」に対する考え方の
非常な近親性が、この稀有な対談集を生み出した。
 全篇に通底しているのは、人間は矛盾した存在なのだから、論理だけで分析していってもダメ
だということ。そして、すべてが説明できてしまうようなものはツマランという、人間・芸術観である。
 村上氏は河合先生のことを「自分の小説の最もよき理解者の一人」と明言していただけに、こ
のおふたかたの対談がもう叶わないのは、一読者として悲しい限りだ。 (沢)
村上春樹、河合隼雄に会いにいく 村上春樹、河合隼雄に会いにいく
河合 隼雄 著 村上 春樹 著
●新潮社 
●225P 
●ISBN 4101001456 
●税込460円

対話する人間
 河合さんが鬼籍に入られたことを知り、遅ればせながら追悼の思いを込めて一冊の本を読んだ。
 『対話する人間』。この本は講談社+α文庫として発行されている。河合さんは、心理療法家とし
て数多くの臨床の場を経験されており、平易な文章でじんわりと、その主張が伝わってくる。まさに
語りかけられているようだ。
 そんな優しい語り口ではあるが、その内容は厳しい現実である。対話といっても穏やかなものば
かりではなく、時に「対決」と表現すべき場面すらあるという。
 何気ない日常での会話にも「魂」を込めていけば、きっと相手に伝わるだろう。 (有)
対話する人間 対話する人間
河合 隼雄 著
●講談社 
●435P 
●ISBN 4062564963 
●税込924円

河合隼雄と昔話
 河合はかなり以前から昔話に興味を持っていたようだ。スイスのユング研究所への留学時代に
昔話を深層心理学の立場から分析することを学び(『昔話の深層』で紹介)、実際、岩波文庫『日本
の昔話』もかの地で熟読していたらしい。ユング派日本人である河合が、同じユング派のE.ノイマン
の昔話の分析心理学を日本人の心性に適用するために日本の昔話を例に考察したのが『昔話と
日本人の心』である。しかし、河合はノイマンの父性原理は日本への応用は難しいと考え「女性の
目」を意識した分析を試みている。そのため、取り上げられている昔話はすべて女性が主人公とな
っている。そして民俗学、文学、歴史学の研究成果を踏まえながら「哀れ」や「恥」といった日本人
の心性を心理学者の視点から解説してみせる。本書は河合の、その学際的視野の広さを知る良書
といえるだろう。 (迫)
昔話の深層 昔話の深層 昔話と日本人の心 昔話と日本人の心
河合 隼雄 著 河合 隼雄 著
●福音館書店 
●353P 
●ISBN 4834007049
●税込2,205円
●岩波書店 
●371P 
●ISBN 400002213X
●税込2,100円

絵本が育むもの
 河合隼雄氏は心理学者として著名である。だが一方で、絵本の魅力を伝える活動に熱心だった
ことでも有名だ。
 河合氏は著書の中で、こう言う。絵本は教育のために読むものではなく、面白いから読むことで
情緒的豊かさが育まれるものだと。そういう豊かさに、絵本は良く効くのだ。
 私自身も河合氏の考えに賛同し、絵本の魅力にはまった一人である。子どもの頃に持っていた
ものを失くしてしまった方、河合氏のように、絵本の魅力に取り付かれてはいかがだろうか。 (辻)
絵本の力 絵本の力
河合 隼雄 著 松居 直 著 柳田 邦男 著
●岩波書店 
●205P 
●ISBN 4000222597 
●税込1,680円


編集後記
 ナベツネ氏については、中公文庫より『渡邉恒雄回顧録』が上梓されている。国立の政策研究大
学院による公式のオーラルヒストリーである。ナベツネはテレビをにぎわすより、大学院で研究され
るにふさわしい人物だと私は思う。勉強好きと文章のうまいのには圧倒される。